naoko watanabe
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エディター、ライター、生活者。Tokyo,Japan
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「汚れたお皿が山積みになっていたら、まずは一枚、洗ってみる。そこから自分の身体が動きます。どんな困難も、最初の小さな一歩から。」
月光荘、日比ななせさんのことば。呆然としてただただ時間が経ちそうなとき、焦っているとき、よく思い出す。
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展示や作品集でお世話になっている東京・西荻窪のショップURESICAさんが日刊ゲンダイで紹介されています。
記事中、庄野の『庄野ナホコ作品集Circus of Wonders』もご紹介いただいています。ありがとうございます!

www.nikkan-gendai.com/articles/vie...
URESICA(ウレシカ)西荻窪「作家さんたちと一緒につくっている店、みたいな感じです」|本屋はワンダーランドだ!
西荻窪駅から続く「北銀座通り」に面した2階建ての建物。小窓に、すてきな装丁の9冊が並んでいる。扉を開ける。と、絵...
www.nikkan-gendai.com
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鱗は、包丁の刃も拒むほど硬く分厚かった。けれども鱗を取った後の魚皮は赤ん坊のように柔らかく、繊細で無防備だった。
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2枚目は、とったばかりの鱗
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友達と、魚の鱗でスパンコールを作った
写真は友人撮影
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rawhead.bsky.social
最近、ポートランドのこういう映像を観てはガンジーやキング牧師らの「非暴力の抵抗」について考えている。

子供のころから俺は「非暴力的抵抗」は主に倫理的な観点からの思想や哲学だと思ってた。つまり、抑圧者は暴力を使うが暴力に暴力で対抗するのは自分たちを抑圧者のレベルまで貶めるもので、我々はそれに与しない。といったような高い志のようなモノだ、と。

でも、最近思うのは、戦略・戦術的な観点から見てもこれはスマートなんじゃないかということ。
thedailyshow.com
The following is REAL footage from Portland, 2025. Viewer discretion is advised.
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これは昭和になってから作られたはず。
「黒猫のダンゴ」
…黒猫といいながらミケチャンになってるの、描いた人の思い入れがありそ。
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地口行灯の風習は、足立区や武蔵野など、東京の地図を広げるとドーナツ状に残っているようです。
もともとは江戸の真ん中のほうで流行したのが郊外へ広がり、発信地では廃れていったけれど周辺ではオリジナル化して続いていった、ということのようです。
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お祭りが近づくと、町内の人が節句人形店や提灯屋などに行って、地口絵を求めてきます。それを行灯に貼り込むのですが、枠の外側にペタッと貼るのではなく、内側に(つまり枠が額縁みたいに見えるように)貼るので、ちょっと難しい。綺麗に貼ってある行灯を見つけると、うまいなあ……と思います。

地口絵は、江戸時代に原案があったんだろうという絵柄が多いけれど、近年になって増えたんだろうという絵柄(文字盤の時計とか)もあり。「岩がき保存」も地口絵になったら楽しいだろうなー。
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RP
ふふふ。こういうの好き。

私が暮らしている東京西郊から武蔵野にかけては、春秋の祭礼に「地口行灯」が点るんです。江戸時代に始まった、駄洒落を楽しむ灯り。

「八百屋おしし」「うすから出たむすめ」「笑う顔にはふぐ来る」などなど。

必ず赤と青の波模様が描かれているのですが、火と水をあらわすなどと言われていて、厄除けの意味もあるみたいですが、基本的にどれも他愛なくておかしいです。
季刊銀花で取材したときの記事。2008年秋号、撮影は小澤義人さん。 同じく季刊銀花。
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このツリー、楽しくて何度もひらいてしまいます。その人の手元にある本は、新品のときとはまた違う人懐っこさがありますね。
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bacumin.bsky.social
『ノアの50年』イベントには行けないけど(恵文社だったら、なおのこと行きたかった!)冊子『ノアの50年」はとてもたのしみです。

わたしも「ノアの3冊」記念撮影しました。
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bacumin.bsky.social
《自分が何を考えているのか。あるいは、自分が何から目をそらしているのか。こういうことを見つめる習慣は、たぶん、考えつづけるということにもつながってくる》

《むしろ怖いのは、「しかたない」といったように視点を単純化することで、考えることをやめてしまうことだとも思う》
www.asahi.com/articles/AST...
考えることをやめないために 10歳の自分へ 宮内悠介さんの手紙:朝日新聞
■Re:Ron特集「考えてみよう、戦争のこと」作家 宮内悠介さん 「考えてみよう、戦争のこと」――。この題を受けて、まずは、10歳のころの自分がどのように考えていたのか、それを思い起こすところからはじ…
www.asahi.com
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「ノアの50年」、心待ちにしていました! あの方この方の、それぞれのノアの3冊が楽しみで……。
私はこの3冊、東秀三『淀川』、小野十三郎『歌とは逆に歌』、桑原昭『震災実録抄』です。
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muttnik.bsky.social
真治さんにお誘いいただき50周年をむえる編集工房ノアについての記念冊子に寄稿しています。嬉しいです! 私の文に登場するノアの本は、今江祥智『愛に-7つの物語』、庄野英二『少女裸像・猫とモラエス』、河崎良二『阪田寛夫 讃美歌で育った作家』の3冊です。10月11-12日、京都恵文社一乗寺店で開催される編集工房ノア50周年記念イベント「ノアの50年」で発売されるようです。ぜひ。
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stonefields.bsky.social
夕方の授業に接続したら、思いっきり屋外でスマホの縦長の画角の中で生徒さんがジュース飲んでてw、何やってんの?て聞いたら、ここうちの近所なんですけど、山がきれいで好きな場所だから先生に見せたかった、授業の開始時間までここで待機してました!て言われた。ヤダ~~うれし~~ありがと~~って言いながらその辺ぐるっと風景見せてもらった。そのあと、ご自宅まで10分ほどトコトコ歩いて帰る間、なんでもない雑談して歩くのにお付き合いした。おもろい。
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相手に賛同するのではなく相手を理解する。ということは、互いの存在を認めることでもある。
つまり、同じ世界に互いの居場所をつくることなんたと思う。
「わたしとは考えがちがうけど、ここにいていい。いてほしい」と願うことだと思う。
排除から遠ざかることだと思う。それは、同じひとはいなくて、ひとりひとり違うのだ、という理解の上に成り立っている。
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わたしならたぶん、すべての関係を絶ってしまう。どうせわかってもらえない、と口をつぐむ。でもその人はひとりひとりに根気よく、トゲのある言葉を投げつけた、目の前の(SNSだから画面の向こうの)たったひとりのために言葉を尽くしていく。敬意を持って、ユーモアを忘れずに。なんて勇敢なんだろう。
人間を信じているんだ、と胸がドンとなった。
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知人がSNSでヘイトの攻撃を受けた。でも、その人がひとりひとりに返していた言葉が、とても良かった。あとたかく真摯で、ユーモアと品があって。やりとりをしていくうちに、相手の言葉遣いもかわり、「互いにがんばって生きていきましょう」と返している人もいた。
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わかりあえないからこそkeep in touch。

そういう人がちゃんといる。尊敬するし、そうありたいと思う。
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ひとはひとりひとり違う、ということを知っている人は、わかりあう努力を怠らない。同じ地平に立って、触れ続ける。
わかりあえないから断絶する/攻撃する、ではなく。耳をひらいて理解しあおうとする。
賛同する、ではなく、理解する。
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大きいシロ、ほんとに大きいでしょ。大きくてムクムクのままノシノシやってきては甘えていてかわいいです。
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大きいシロと小さいシロ。
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かつぶし刑事は、シーツで上手に巣作りして寝はりこみしていた。秋。