そしてそれは脚本家のせい、というよりは「この作品を作る意味は何なのか」みたいなもっと根本的なレベルでのコンセプトの練り込みやディレクションが足りてないという、根深い問題だと思う。
それは日本社会の「文章(を書く人)に対する軽視」と全く無関係ではない気もしてる。
とにかく文章に、というか、「考える」係に金使ったほうがいいと思う。そこにお金かけるの、実は絶対的にコスパ良いだろうし
bsky.app/profile/numa...
ビジュアルの決定的な強さに比べると脚本周りはフラついてる印象で、その意味では「ルック最高、話イマイチ」という日本のオリジナル作品の枠組みに当てはまるのは否めない。
ほんとにここなんだよ、ここ(物語)さえブラッシュアップできればマジでもっと世界狙えると思うんだよ、何目線だよって感じだけどホントに(さーせん)
そしてそれは脚本家のせい、というよりは「この作品を作る意味は何なのか」みたいなもっと根本的なレベルでのコンセプトの練り込みやディレクションが足りてないという、根深い問題だと思う。
それは日本社会の「文章(を書く人)に対する軽視」と全く無関係ではない気もしてる。
とにかく文章に、というか、「考える」係に金使ったほうがいいと思う。そこにお金かけるの、実は絶対的にコスパ良いだろうし
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可能性を持った若い才能が、劣悪な環境で仕事を始め潰れていくのを、何人も見てきた。
自分の場合、それが海外から来た人である場合が多いのも、つらい。
ストーリー構成や演出に一定の知識があり、絵が描けて、さらに外国語(日本語)を驚くほどきちんと操れるのに、集団作業で量産される“業界”に呑み込まれ、精神を病んでしまう。
英語圏以外の国から来た学生には、「まずは自国の文化圏で漫画的カルチャーを広める職に就いては?」と勧めるのだが、漫画家になりたいと願う彼らには響かない。
本当に多くの「才能」が今、この国で便利に使われ、すり潰されている。
可能性を持った若い才能が、劣悪な環境で仕事を始め潰れていくのを、何人も見てきた。
自分の場合、それが海外から来た人である場合が多いのも、つらい。
ストーリー構成や演出に一定の知識があり、絵が描けて、さらに外国語(日本語)を驚くほどきちんと操れるのに、集団作業で量産される“業界”に呑み込まれ、精神を病んでしまう。
英語圏以外の国から来た学生には、「まずは自国の文化圏で漫画的カルチャーを広める職に就いては?」と勧めるのだが、漫画家になりたいと願う彼らには響かない。
本当に多くの「才能」が今、この国で便利に使われ、すり潰されている。