哲学的な異論に対して、アマルティア・センは次のように反論します。なるほど、「すべての人の尊厳と権利」という概念は抽象的・超越的な概念であり、経験を重んじる哲学とは相容れないかもしれない。しかし、英語圏で主流となっている功利主義の「功利」も、やはり抽象的・超越的な概念ではないか?
正義のアイデアを論じるにはなんらかの抽象概念を持ち出す必要がある。
つまり、私たちは、なんらかの公理系を選び取る必要がある。
哲学的な異論に対して、アマルティア・センは次のように反論します。なるほど、「すべての人の尊厳と権利」という概念は抽象的・超越的な概念であり、経験を重んじる哲学とは相容れないかもしれない。しかし、英語圏で主流となっている功利主義の「功利」も、やはり抽象的・超越的な概念ではないか?
正義のアイデアを論じるにはなんらかの抽象概念を持ち出す必要がある。
つまり、私たちは、なんらかの公理系を選び取る必要がある。
「デマの拡散力にファクトチェックが追いつけない」という現象も、基本これだよな〜って思う。後から「それデマだよ」という情報を提示しても遅い。ファクトを示されたときには、大多数のオーディエンスはポストの文脈から離れていて、でもその瞬間に受け取った印象はしっかり持ち帰っている。
「デマの拡散力にファクトチェックが追いつけない」という現象も、基本これだよな〜って思う。後から「それデマだよ」という情報を提示しても遅い。ファクトを示されたときには、大多数のオーディエンスはポストの文脈から離れていて、でもその瞬間に受け取った印象はしっかり持ち帰っている。
自分がその一部に入ることに心からベットしているし、ベットしなくてはいけないという圧力で育ってきたのもあると思う。問題は、自分が一部の人になれなかったときや、一部の人になれてない他者に接するときの想像が、固い信念で断たれてるときだ。
自分がその一部に入ることに心からベットしているし、ベットしなくてはいけないという圧力で育ってきたのもあると思う。問題は、自分が一部の人になれなかったときや、一部の人になれてない他者に接するときの想像が、固い信念で断たれてるときだ。