JR赤羽駅西口から赤羽台へと抜ける坂道で、別名は狸坂。少し離れた場所に「小坂」と呼ばれた坂があり、それに対して大坂と名付けられたらしい。傾斜はそこそこあるけれど道幅は狭く、大坂というほど大きな坂ではない。
上の写真は2018年8月に撮影したもので、下は数日前に撮ったもの。以前は坂の途中に小さな稲荷社があったが、赤羽台団地の再開発工事に伴って撤去され、跡地は自転車のレンタルスペースになっている。鳥居や祠は別の場所に移されたのだろうか?
JR赤羽駅西口から赤羽台へと抜ける坂道で、別名は狸坂。少し離れた場所に「小坂」と呼ばれた坂があり、それに対して大坂と名付けられたらしい。傾斜はそこそこあるけれど道幅は狭く、大坂というほど大きな坂ではない。
上の写真は2018年8月に撮影したもので、下は数日前に撮ったもの。以前は坂の途中に小さな稲荷社があったが、赤羽台団地の再開発工事に伴って撤去され、跡地は自転車のレンタルスペースになっている。鳥居や祠は別の場所に移されたのだろうか?
使用したレンズは今はなき三協光機のコムラー135mm。15年くらい前に新宿の中古カメラ屋で購入したもので、値段はたったの500円だった。コムラーレンズはモデルバリエーションが多すぎるので詳しいことはよく分からないが、おそらく1970年代初め頃に製造された物だと思う。ジャンク品のオールドレンズではあるけれど、同時期の大手メーカー製レンズに引けを取らないぐらいよく写る。
📷 Panasonic DC-S5 + Komura 135mm/F2.8
使用したレンズは今はなき三協光機のコムラー135mm。15年くらい前に新宿の中古カメラ屋で購入したもので、値段はたったの500円だった。コムラーレンズはモデルバリエーションが多すぎるので詳しいことはよく分からないが、おそらく1970年代初め頃に製造された物だと思う。ジャンク品のオールドレンズではあるけれど、同時期の大手メーカー製レンズに引けを取らないぐらいよく写る。
📷 Panasonic DC-S5 + Komura 135mm/F2.8
📷 Nikon Df + New Nikkor 85mm/F1.8
📷 Nikon Df + New Nikkor 85mm/F1.8
区営の公共施設らしからぬ個性的な外観の建物。西洋の教会建築風の尖塔が目を引く。設計者は丹下健三の筆頭弟子的な存在だった大谷幸夫。1986年竣工。
📷 Panasonic DC-G99M2 + Leica DG Summilux 15mm/F1.7 ASPH.
区営の公共施設らしからぬ個性的な外観の建物。西洋の教会建築風の尖塔が目を引く。設計者は丹下健三の筆頭弟子的な存在だった大谷幸夫。1986年竣工。
📷 Panasonic DC-G99M2 + Leica DG Summilux 15mm/F1.7 ASPH.
📷 Nikon Df × AF-S Nikkor 35mm/F1.4G
📷 Nikon Df × AF-S Nikkor 35mm/F1.4G
📷 Panasonic DC-G99M2 + P.Angenieux Paris 90mm/F1.8 Type P1
📷 Panasonic DC-G99M2 + P.Angenieux Paris 90mm/F1.8 Type P1
📷 Leica M10-P + Summicron-M 50mm/F2
📷 Leica M10-P + Summicron-M 50mm/F2
📷 Nikon Df + Ai Nikkor 28mm/F2S
📷 Nikon Df + Ai Nikkor 28mm/F2S
📷 Nikon D700 + AF-S DX NIKKOR 35mm f/1.8G
📷 Nikon D700 + AF-S DX NIKKOR 35mm f/1.8G
神田橋公園の入口脇にひっそりと設置されている奇妙なブロンズ像。作者は彫刻家の山下恒雄。
腕組み&立て膝で偉そうなポーズを決めているが、なんでも黄金虫が擬人化して千代田区の豊かさと更なる発展を見守っている... という設定らしい。
神田橋公園の入口脇にひっそりと設置されている奇妙なブロンズ像。作者は彫刻家の山下恒雄。
腕組み&立て膝で偉そうなポーズを決めているが、なんでも黄金虫が擬人化して千代田区の豊かさと更なる発展を見守っている... という設定らしい。
いちばん大きいのは江戸時代の人気力士生月鯨太左衛門。約230cmあるのでアンドレ・ザ・ジャイアントよりもデカい。当時の日本人の平均身長は男性が155cm、女性が145cm程度だったそうなので、実物の生月を目にした江戸庶民はさぞかしぶったまげたことだろうと思う。
📷️ Leica D-LUX 8
いちばん大きいのは江戸時代の人気力士生月鯨太左衛門。約230cmあるのでアンドレ・ザ・ジャイアントよりもデカい。当時の日本人の平均身長は男性が155cm、女性が145cm程度だったそうなので、実物の生月を目にした江戸庶民はさぞかしぶったまげたことだろうと思う。
📷️ Leica D-LUX 8
📷 Leica D-LUX8
📷 Leica D-LUX8
創建年代については諸説ある。一説には江戸期の歌舞伎役者、二代目關三十郎が伏見より勧請したとされている。
失せ猫探しの御利益あらたかな神社としてよく知られているが、これは「マグネットの三島」と呼ばれた工学博士の三島徳七が行方不明となった飼い猫が戻ってくるようにと祈願したところ、3ヶ月後に無事に見つかったことによる。参道の入口脇にある碑は三島夫妻が建立したもの。
📷 Nikon D200 + SIGMA 30mm F1.4 DC HSM
創建年代については諸説ある。一説には江戸期の歌舞伎役者、二代目關三十郎が伏見より勧請したとされている。
失せ猫探しの御利益あらたかな神社としてよく知られているが、これは「マグネットの三島」と呼ばれた工学博士の三島徳七が行方不明となった飼い猫が戻ってくるようにと祈願したところ、3ヶ月後に無事に見つかったことによる。参道の入口脇にある碑は三島夫妻が建立したもの。
📷 Nikon D200 + SIGMA 30mm F1.4 DC HSM
室町時代中期頃まで現在の東京北部一帯を支配していた豪族豊島氏と由縁のある地蔵堂らしいが、詳しいことはよく分からない。ずらりと並ぶ石仏は全部で18体。造立年はまちまちだが、いずれも江戸時代の物。「下道」は「しもみち」と読む。この辺りから志茂 (しも) へと向かう道が分岐していたので、そう呼ばれる様になったと伝えられている。
📷 Nikon F3 + Ai Nikkor 50mm/F1.4S
🎞️ Kodak Gold 200
室町時代中期頃まで現在の東京北部一帯を支配していた豪族豊島氏と由縁のある地蔵堂らしいが、詳しいことはよく分からない。ずらりと並ぶ石仏は全部で18体。造立年はまちまちだが、いずれも江戸時代の物。「下道」は「しもみち」と読む。この辺りから志茂 (しも) へと向かう道が分岐していたので、そう呼ばれる様になったと伝えられている。
📷 Nikon F3 + Ai Nikkor 50mm/F1.4S
🎞️ Kodak Gold 200
📷 Ricoh GR Ⅲ
📷 Ricoh GR Ⅲ
来月から撤去工事が始まる廃橋。架橋されたのはバブル期の1986年。お台場を含むこの辺り一帯の大規模開発に伴い、工事車両専用道として開通。その後、一般道扱いとなったが、その期間はわずか3年。30年以上も放置状態になっていたなんとも不憫な橋。
長らく廃橋扱いになっていた理由は、撤去するのに莫大な費用がかかる為。数年前に東京都がようやく予算を計上し、ついに撤去されることになった。
アップした写真は2014年の冬に撮影したもの。左側にパレットタウンの大観覧車が写っているが、こちらは3年前に撤去済み。
来月から撤去工事が始まる廃橋。架橋されたのはバブル期の1986年。お台場を含むこの辺り一帯の大規模開発に伴い、工事車両専用道として開通。その後、一般道扱いとなったが、その期間はわずか3年。30年以上も放置状態になっていたなんとも不憫な橋。
長らく廃橋扱いになっていた理由は、撤去するのに莫大な費用がかかる為。数年前に東京都がようやく予算を計上し、ついに撤去されることになった。
アップした写真は2014年の冬に撮影したもの。左側にパレットタウンの大観覧車が写っているが、こちらは3年前に撤去済み。
📷 Nikon Df + Ai Nikkor 50mm/F1.4S
📷 Nikon Df + Ai Nikkor 50mm/F1.4S
📷 Panasonic DC-G9Ⅱ + Leica DG Summilux 12mm/F1.4 ASPH.
📷 Panasonic DC-G9Ⅱ + Leica DG Summilux 12mm/F1.4 ASPH.
コース上から撮影したこの写真では、ごく普通の地方競馬場にしか見えないけれど、実は周辺は民家だらけ。住宅街に隣接している競馬場なんてかなり珍しいが、開設された当初のこの辺りは田んぼしかない僻地だったそうだ。
📷 Leica D-LUX 8
コース上から撮影したこの写真では、ごく普通の地方競馬場にしか見えないけれど、実は周辺は民家だらけ。住宅街に隣接している競馬場なんてかなり珍しいが、開設された当初のこの辺りは田んぼしかない僻地だったそうだ。
📷 Leica D-LUX 8
📷 Leica M3 + DR Summicron 50mm/F2
🎞️ Kodak Tri-X
📷 Leica M3 + DR Summicron 50mm/F2
🎞️ Kodak Tri-X
3年前にリニューアルオープンした同園だが、その際に観覧車も新設。以前のものより二回りぐらい大きくなっている。製造と設置を受け持ったのは大阪に本社を置く泉陽興行。ちなみに葛西臨海公園の大観覧車や横浜みなとみらいのロープウェイなども泉陽興行製。
📷 Leica M10-P + Summicron-M 50mm/F2
3年前にリニューアルオープンした同園だが、その際に観覧車も新設。以前のものより二回りぐらい大きくなっている。製造と設置を受け持ったのは大阪に本社を置く泉陽興行。ちなみに葛西臨海公園の大観覧車や横浜みなとみらいのロープウェイなども泉陽興行製。
📷 Leica M10-P + Summicron-M 50mm/F2
📷 Leica M7 + Summicron-M 35mm/F2
🎞️ ILFORD DELTA 3200
📷 Leica M7 + Summicron-M 35mm/F2
🎞️ ILFORD DELTA 3200
遊園地ホテルの開業は1910年 (大正10年) 。当時のパンフレットなどを見ると、落ち着いた外観の洋館だったことが分かる。オープン翌年には渋沢栄一や後藤新平の講演会が行なわれたりもしているので、格付け的にはかなりの高級ホテルという扱いだったのではないかと思う。建物が取り壊されたのは1967年 (昭和42年) 。現在はこの門柱だけがモニュメント的に残されている。
遊園地ホテルの開業は1910年 (大正10年) 。当時のパンフレットなどを見ると、落ち着いた外観の洋館だったことが分かる。オープン翌年には渋沢栄一や後藤新平の講演会が行なわれたりもしているので、格付け的にはかなりの高級ホテルという扱いだったのではないかと思う。建物が取り壊されたのは1967年 (昭和42年) 。現在はこの門柱だけがモニュメント的に残されている。
いわゆる昔ながらの駄菓子屋さん。創業は戦前で当初は食堂だったそうだ。米の入手が困難になった終戦直後にパン屋に商売替え。子ども相手の駄菓子専門店になったのは50〜60年前らしい。
しかし残念ながらこの写真を撮った翌月に突然閉店。店主のお婆さんはお元気そうだったけど、おそらく跡継ぎもいないということで店を閉めて、隠居したのだろうと思う。
📷 Leica D-LUX 8
いわゆる昔ながらの駄菓子屋さん。創業は戦前で当初は食堂だったそうだ。米の入手が困難になった終戦直後にパン屋に商売替え。子ども相手の駄菓子専門店になったのは50〜60年前らしい。
しかし残念ながらこの写真を撮った翌月に突然閉店。店主のお婆さんはお元気そうだったけど、おそらく跡継ぎもいないということで店を閉めて、隠居したのだろうと思う。
📷 Leica D-LUX 8
園内に設置されているこの彫像の作品名は「フィオーナとアリアン」。文京区公式サイトの説明によれば、2体とも「フィオーナであり、アリアンでもある」そうだ。作者は日本美術界の重鎮として活躍した朝倉文夫の次女で、父親と同じく彫刻家であった浅倉響子。
ちなみにこの公園は1986年10月開園。元々は東京教育大学の大塚キャンパスだったが、同大学が1978年に筑波大に改編されて閉校したのちに跡地が文京区に移管された。
📷 Leica M10-P + Elmarit-M 28mm/F2.8
園内に設置されているこの彫像の作品名は「フィオーナとアリアン」。文京区公式サイトの説明によれば、2体とも「フィオーナであり、アリアンでもある」そうだ。作者は日本美術界の重鎮として活躍した朝倉文夫の次女で、父親と同じく彫刻家であった浅倉響子。
ちなみにこの公園は1986年10月開園。元々は東京教育大学の大塚キャンパスだったが、同大学が1978年に筑波大に改編されて閉校したのちに跡地が文京区に移管された。
📷 Leica M10-P + Elmarit-M 28mm/F2.8