ミカンセーキ
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ノーマン・ロックウェルやステヴァン・ドハーノスって人間好きだったんだろうか。
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VK AFはおそらく「好き」と「関係」を峻別している。
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ダイアン・キートンが亡くなった。

かっこいい人だったよ。
『アニーホール』の彼女の服のセンスと着こなしには痺れたなあ。

ラルフをあんな風に着崩して
様になるなんてやっぱり
かなりの曲者だ。
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おぉ。まだ他にも残ってたのですね。古い方は残念ながら薬局になってしまった残留思念タイプ
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並び建つ新旧不二家レストラン
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不二家レストランの店舗デザインが詠み人知らずになっていたのをマテさんが解明している。
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( ´・ω・) 浅い台形の店舗建築になっている不二家レストランは、1978年から展開したロードサイド型フリースタンディングスタイルでの「不二家ロードサイドレストラン」。店舗デザインはアメリカのドナルド・クレーバーというデザイナーだが詳細はよく判らない。

ロードサイドのファミリーレストランが爆発的に増加したのが1970年代という時代で、その後半戦に突然大量の店舗展開をもって参入した不二家の独自性アピールがあの独特の店舗デザインだという。

この時期に年60店舗という正気を疑うような展開をした地域が関東・東海・近畿なので、このあたりの不二家(ロードサイド)レストランは大体同じ形をしているはず。
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不二家レストランの富士山型の屋根架構がそのままインテリア空間になっている。天井はガラストップライトと木の羽目板張りでのオリジナルデザインが残っている。
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不二家レストラン西永福駅店。今や大阪の茨木清水店とここの二店舗を残すのみ(たぶん)となった貴重な富士型デザインの店舗
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不二家レストランでモーニングティの時間。ホットケーキ付き
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おはようございます!
三連休の中日である日曜日の朝です。
空気はすっかり秋めいて参りました。
画像はSd.kfz.7/1。
8tハーフトラックにFlak38 fierlinkを搭載したタイプです。カメラ目線で座っている兵士は、迷彩スモックを着用しているようです。四連装の機関部にはガスマスクケース、運転席背面板には乗員の水筒がぶら下がっていますね。
他の兵士たちは休憩中でしょうか?
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アメリカの著作権保護期間はなかなか難しい。
NARA(米国国立公文書館)のデジタルアーカイブの戦場写真のようなアメリカ職員による記録写真の場合はPD(パブリックドメイン)とみなせるが、民間の写真は、著作権表示のない場合に発表後95年が適用される可能性がある。
2025-95=1930年以降のものは著作権保護期間中という扱い
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この写真の元リンク:NARA(米国国立公文書館)のデジタルアーカイブより
catalog.archives.gov/id/204945138
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エルアラメイン戦で米軍に鹵獲されたMarderIII。この車両は熱帯塗装ではなく当時ドイツ軍の標準色であったダークグレー(RAL7021)のままのようだ。
ドイツ軍は1942年の夏にはロシア戦線に送る戦車を熱帯塗装(tropen2- RAL8020)で工場出荷するようになっていたが、MarderIIIを製造するチェコではその指示が届いてなかったのか従来の規定通りにグレー塗装のままで出荷していたことが伺える。

写真はNARA:ID204945138 (U.S. Air Force Number 23290AC)
※アメリカ合衆国連邦政府が業務上作成した著作物によるPD
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1 日1ミリ。1942年11月。第二次エルアラメイン戦で放棄されてニユージーランド軍に回収されたドイツ軍のMarderIII。ロシア戦線で鹵獲した76.2mm M1936(F-22)をチェコ製の38(t)戦車シャーシに搭載した当時最強の対戦車車両だった。
そのハイブリッドな仕様は随所に現れていて、後部にチェコ製の消火器を搭載しながらフェンダーにはドイツ仕様の消火器、左フェンダーに積むバールはチェコ軍由来の革紐で固定されているが車体右側に積むジャッキやワイヤーカッターなどドイツ軍が指定する工具類はドイツ式のクランプを使う。
写真:ニュージーランド国立図書館no.DA-02730-F
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決まった縮尺よりもどの大きさの模型になるかの方が大事。1/25で戦車と車を揃えても微妙な感じ。
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(おおよそ)1/25の車と戦車の砲塔比較。1/25の戦車全体だと手に余る。
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靖国神社の遊就館で見た「桜花」だけは違う印象を抱いた。レプリカであるからなのか実物にありがちなリアルなノイズがない。それと実物の「戦闘機」の大きさに比べるとグッと小さい。それ自体が「飛行機のミニチュア」のようでもあった。

本当の目的からしても戦闘機の「ミニチュア」なのだから気分は複雑だ。それとこのデザイン。兵器に求められる冗長性など無駄の一切を削ぎ落としたミニマルなフォルム。日本人はこう言うもの作らせたら上手いんだなと感動もするし悲しくもなった。

この機体を設計した空技廠の三木忠直は後に国鉄で初代新幹線をデザインする。上手い人なんだよ。
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デカすぎて「プラスチック容器」と呼んだ方がしっくりくる。造形も大味というか大味と感じるものにならざるを得ない。
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これが1/16の大きさだ(購入後数年経過、離型剤すら落としていない)。
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エントランスホールの零戦もイメージと違った。機体がなんだかペコペコしてるんだよね。今ならリベット打ちの外板のたわみを模型でも表現する人がいるけど、そんなリアル表現を知らなかったものだから、ぺこぺことした模型的精密感のない物体に「リアル」を感じることはできなかった。
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遊就館の展示室には八八式七・五糎野戦高射砲が展示してあった。高射砲というとタミヤの88ミリ高射砲の「キットの精密感」を覚えていたから、目の前にある変な鉄の塊に違和感を覚える。ゴツくて太くて野暮ったい工作機械をのようだった。巨大な万力とでも言えばいいのか。こんなもんで遠くに小さく見える飛行機を撃ち落とす「精密射撃」ができるのだろうかと、模型の精密感とのギャップに戸惑った。別な意味で日本軍ぜんぜんダメじゃんと言う印象を抱いてしまった。
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模型で知ってるものと実物のギャップで思い出すのは靖国神社の遊就館に展示されてた九十七式中戦車だろうか。サイパンの海岸で発掘してレストアした車両は各部が錆に侵食されていて部品もあちこち欠落していた。もちろん可能な限り修復して綺麗にペンキが塗ってあったけど、各部の水平も出てなくてそれこそ「模型で見た精密なリベットやシャープな放熱グリル」なんてどこにもない。ぼってりとした鉄の鋲がまばらに並んでボソボソとした鉄板で組み立てられて何か間延びした物体が目の前にあった。
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大刀洗で見た震電が実物大の再現模型だったことで、震電について強い緊張感を伴う印象を持たなかったために、ハセガワの1/48をチラ見しようかな、という気分が少し残った。

どういうことかというと、同じ記念館に展示されている零戦三二型と九七式の実機にはかなり悲壮な雰囲気があって、水底から引き揚げられて、陸の上で翼を休められている彼らを戦時の姿に戻した模型を手に取って眺める気になれなかった。
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自分が8歳の時に父が手に入れた分譲住宅に24歳で結婚をして家を出るまで過ごしていた。その後 両親は兄家族との二世帯住宅を建てる為にそこを手放し、ほんとの“実家”にはもう帰れなくなっていた。それでも建屋自体はどこのどなたがお住まいなのか知らねど、墓参りの都度に「ああ、まだ在るなあ。自分の部屋はどんなになっているのかな…」と、通りすがりにずっと懐かしんでいた。
いろいろな事情で数年ぶりとなってしまった今日の墓参り。帰りに寄ったその一帯は全て建て変わり、面影もない街並みになっていた。
「何だよ、ここいらはこんな不便で狭い道だろうにっ…!」と悪態を吐きながら 泣いた。
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futagawakasara.bsky.social
一応、問題ないこと確認して広めてますよというエクスキューズ
www.iwm.org.uk/corporate/po...
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futagawakasara.bsky.social
IWMの非商用ライセンスに則ってる建付けで昔パンジャンドラムのまとめモーメントを作ったりしていた
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首相の80年談話だけど、総じてよかったんじゃないかな。話題性のためのセンセーショナルなトピックに委ねず、右派や左派といった心情にも流されることなく、過去から未来に政治家としてどう生きるべきかを語っていたように思う。個人の見解としながらもまさに国家を背負っていた。以前の総裁候補として騒がれるようになった頃はどこか斜に構えたようなものの言い方があって好きになれなかったが、総理大臣になってこの一年の彼の話にはどこか覚悟があった。立場が人を作るとでも言うのだろうか。石破茂は立派な政治家になった。