その中にあり異彩を放っているのが山形市郷土舘(写真)です。1878年9月、県立病院「済生館本館」として建築された建造物です。初代県令・三島通庸の命令で建立され、太政大臣である三条実美が命名。長く山形市立病院として使用されました。
三層楼の擬洋風建築で、1966年に国指定重要文化財に指定されました。1969年現在地に移築され、1971年「山形市郷土舘」として開館しました。山形県の医療の歩みを詳細に伝えています。 #山形 #霞城公園 #山形市郷土館 #済生館本館 #三島通庸 #三条実美
山形の石造アーチ橋群は三島通庸の道路事業と九州の石工の影響が大きいみたいだから直接二者に関係性があるわけではなさそうね。
石造アーチをこれだけ作れたのは石材が豊富な土地柄もあるだろうけれど、通庸がこれに着眼して石造アーチの架設を指示したというよりは
薩摩生まれの通庸にとって石造アーチは当然取りうる最適解だったというほうが妥当な気がする。
山形の石造アーチ橋群は三島通庸の道路事業と九州の石工の影響が大きいみたいだから直接二者に関係性があるわけではなさそうね。
石造アーチをこれだけ作れたのは石材が豊富な土地柄もあるだろうけれど、通庸がこれに着眼して石造アーチの架設を指示したというよりは
薩摩生まれの通庸にとって石造アーチは当然取りうる最適解だったというほうが妥当な気がする。
文翔館(山形県郷土館)
1916年~1975年まで第2代山形県庁舎として使われていたルネサンス様式の建築物。往時の姿を留めた形で長年大切に保存され、様々な映像作品のロケ地にもなってきた。
個人的に良かったのは、初代山形県令を務めた三島通庸の説明が充実していた事…(廃道オタクにはお馴染みの人)
文翔館(山形県郷土館)
1916年~1975年まで第2代山形県庁舎として使われていたルネサンス様式の建築物。往時の姿を留めた形で長年大切に保存され、様々な映像作品のロケ地にもなってきた。
個人的に良かったのは、初代山形県令を務めた三島通庸の説明が充実していた事…(廃道オタクにはお馴染みの人)