いまは主線のセッティングを変えて、2000x2000カンバス、筆圧感知なし、7pixelサイズのミリペンのペイントツールにしてます。筆圧感知なしのミリペンにはあまり筆致によって汚くなる余地がなく、線の修正、継ぎ足しも自然にできます。この意味ではベクターの出番がなくなりました。
ここでミリペンとは、ピクセルを美しく継ぎ足せる観点においてじつはピクセルペンというべきであるとわかります。
いまは主線のセッティングを変えて、2000x2000カンバス、筆圧感知なし、7pixelサイズのミリペンのペイントツールにしてます。筆圧感知なしのミリペンにはあまり筆致によって汚くなる余地がなく、線の修正、継ぎ足しも自然にできます。この意味ではベクターの出番がなくなりました。
ここでミリペンとは、ピクセルを美しく継ぎ足せる観点においてじつはピクセルペンというべきであるとわかります。
塗装例が全然無いけど、造形はかなりしっかりしてるから塗ってみたいのだよな…
塗装例が全然無いけど、造形はかなりしっかりしてるから塗ってみたいのだよな…
↓こういう図とか、正直なんの意味があるのかわからん。2Hだって筆圧かければ4Bくらい濃くなるし、4Bも2Hくらい薄くできる。というか、4Bを薄く使える筆圧操作ってデッサンの基本だから、始まりの些細なことながらこういう図こそ一番の誤解の元なんだよな。こういう図をデッサン本が置くから22種類も鉛筆買ってきてしまう人がたまに現れる
↓こういう図とか、正直なんの意味があるのかわからん。2Hだって筆圧かければ4Bくらい濃くなるし、4Bも2Hくらい薄くできる。というか、4Bを薄く使える筆圧操作ってデッサンの基本だから、始まりの些細なことながらこういう図こそ一番の誤解の元なんだよな。こういう図をデッサン本が置くから22種類も鉛筆買ってきてしまう人がたまに現れる
レシピは観察を代行する装置であり、それを使うことで「観察せずに作る」ことができてしまう。このときに模型は「できたもの」ではあっても「見出されたもの」ではない。そこには観察の強度がほとんど生じないため、ヴェリシミリチュードもまた生まれない。
スケールモデル趣味で問題になるのは後者で、たとえば「当時を再現する」観察者と「今現在から過去を見る」観察者は、同じ造形を前にしても、異なる現実を観察する。
どの出発点を正当化しているか(あるいは欺いているか)の問題へと最初から移行しているのだ。
レシピは観察を代行する装置であり、それを使うことで「観察せずに作る」ことができてしまう。このときに模型は「できたもの」ではあっても「見出されたもの」ではない。そこには観察の強度がほとんど生じないため、ヴェリシミリチュードもまた生まれない。
模型のヴェリシミリチュードは、相似縮小によって脱落する諸性質をレンダリング操作で補正し、関係の可視性を最大化する営みとして理解できるはず。関係の真実らしさの再構成であり、単なる寸法忠実(アキュラシー)とは別立てである。
模型のヴェリシミリチュードは、相似縮小によって脱落する諸性質をレンダリング操作で補正し、関係の可視性を最大化する営みとして理解できるはず。関係の真実らしさの再構成であり、単なる寸法忠実(アキュラシー)とは別立てである。
(歯磨き粉とか最後の方本当に自然に調節しちゃうんで良くない)
(歯磨き粉とか最後の方本当に自然に調節しちゃうんで良くない)
それは近年ガンプラでよく言われる「可動範囲」の問題というより、「微細な捻りがアルミ線なら楽に加えられる」ってのが実際に近いと思う。