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バイオパズラー塗装してると出来の良さがありありと感じられるな。塗装は鑑賞。
December 14, 2025 at 12:35 PM
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わたしがコミスタ、クリスタのベクターツールを採用してたことは、緩急あるペイントツールでは綺麗な主線を引けない、綺麗に線修正できないというネガティブに始まっています。

いまは主線のセッティングを変えて、2000x2000カンバス、筆圧感知なし、7pixelサイズのミリペンのペイントツールにしてます。筆圧感知なしのミリペンにはあまり筆致によって汚くなる余地がなく、線の修正、継ぎ足しも自然にできます。この意味ではベクターの出番がなくなりました。

ここでミリペンとは、ピクセルを美しく継ぎ足せる観点においてじつはピクセルペンというべきであるとわかります。
December 14, 2025 at 10:23 AM
バイオパズラー、メルで買っちゃった。当時うちにあったのはドラゴンと、プラのやつになってなんか違うなとなっちゃったな。
塗装例が全然無いけど、造形はかなりしっかりしてるから塗ってみたいのだよな…
December 5, 2025 at 2:31 PM
BLって「苦しそう」なのがエロスの表象だよな。なんだろうな、表情のニュアンスが男性向けと違いますよね。
November 29, 2025 at 4:29 PM
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今からさっと手を動かせば、さっきまで思い描いていただけの効果がだいたい現実になり、理想的でなくともそれに近づく手がかりが得られる。やらない言い訳を考えるよりはだいぶ良い。
November 29, 2025 at 7:49 AM
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「哲学の名著100冊を1冊で」みたいなコンセプトの本とか、まぁ評判悪いけど、あれの美術書版とかなら、真面目に作ったら美大生にはけっこう有用じゃないかな。見開き1ページくらいで要約できる本はけっこうあるでしょう
November 29, 2025 at 4:44 AM
えのひらってなんや。てのひらえほんや。
仕掛け絵本、サブダやラインハートももちろん良いのだが、わらべきみか絵、とびだす!うごく!えのひらえほんシリーズのサイズ感密度感が素晴らしいんだよな。
November 29, 2025 at 5:01 AM
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個人的にはデーモン・コアをブラックジョークとして気軽に扱うのが馴染めないってのがあって、それは東海村JCO臨界事故の犠牲者の写真(医学系の学会発表のスライドを週刊誌がリークしたやつ)を見てしまったからで、そういうのがあって生々しい連想が止められなくてつらい、みたいなのはわかるんだよな。
November 28, 2025 at 4:48 PM
アートコレクターズ12月号に、「フィギュアってアートなんですか?」「いやそれは主に村上が悪くってぇ…そんなことより榎木ヴィネットだ!」という話を書きました。
November 29, 2025 at 3:43 AM
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「鉛筆の違いは色の濃さではなくて硬さと質感の違い」ってそんなにわかりづらい話かな。なんで初めからそう書いているのにカットするんだろう。

↓こういう図とか、正直なんの意味があるのかわからん。2Hだって筆圧かければ4Bくらい濃くなるし、4Bも2Hくらい薄くできる。というか、4Bを薄く使える筆圧操作ってデッサンの基本だから、始まりの些細なことながらこういう図こそ一番の誤解の元なんだよな。こういう図をデッサン本が置くから22種類も鉛筆買ってきてしまう人がたまに現れる
November 29, 2025 at 1:46 AM
仕掛け絵本、サブダやラインハートももちろん良いのだが、わらべきみか絵、とびだす!うごく!えのひらえほんシリーズのサイズ感密度感が素晴らしいんだよな。
November 29, 2025 at 3:27 AM
川口市アトリア青秀祐展を見た。1/1ホンダシティと1/2ホンダシティが並び、横倒し(!)の1/1リガズィダミーバルーン、完全に模型の話だったな。
November 3, 2025 at 3:48 PM
ガバメントハンター、拳銃持ってそう
October 30, 2025 at 11:14 AM
完全にデッサン対「絵の絵」の話。
October 29, 2025 at 12:40 PM
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さっきの料理本の話みたいに、レシピ型のビルドでは「行為はあるが経験がない」状態のまま進行する。行為を導く観察が他者の観察の写しだから。
レシピは観察を代行する装置であり、それを使うことで「観察せずに作る」ことができてしまう。このときに模型は「できたもの」ではあっても「見出されたもの」ではない。そこには観察の強度がほとんど生じないため、ヴェリシミリチュードもまた生まれない。
観察の出発点には少なくとも二層あって、存在論的出発点(観察者がどの世界の内部から対象を見ているか)と時間論的出発点がある。
スケールモデル趣味で問題になるのは後者で、たとえば「当時を再現する」観察者と「今現在から過去を見る」観察者は、同じ造形を前にしても、異なる現実を観察する。
観察条件の明示・宣言を重視するヴェリシミリチュードは、「単に」どれだけ本物らしく見えるかではない。
どの出発点を正当化しているか(あるいは欺いているか)の問題へと最初から移行しているのだ。
October 23, 2025 at 1:31 PM
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僕の主張するヴェリシミリチュードとも整合のとれる話。
模型のヴェリシミリチュードは、相似縮小によって脱落する諸性質をレンダリング操作で補正し、関係の可視性を最大化する営みとして理解できるはず。関係の真実らしさの再構成であり、単なる寸法忠実(アキュラシー)とは別立てである。
October 29, 2025 at 10:42 AM
絵の具にせよ、刃物にせよ、消耗品はほんとこれ…
(歯磨き粉とか最後の方本当に自然に調節しちゃうんで良くない)
October 29, 2025 at 12:32 PM
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消耗品は基本的に潤沢に在庫してみみっちくならないようにしてる。
October 29, 2025 at 11:09 AM
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山口式可動の素晴らしさと限界点は表裏一体で。だから褒める人は褒めるし、合わない人には合わない。
October 29, 2025 at 6:14 AM
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ロボット模型における「可動」には、「動くとされる所が実際に動く」という「動作の再現性」と、「任意に思い描いたポーズをとれる」という「簡便化された造形行為」という二つの役割があると思うのねん。
October 29, 2025 at 9:39 AM
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おそらくそれはプラモデルにおける図面的な設計に起因している。竹割モナカ構造をはじめ、金型由来の性格もあるが、垂直水平を基準に極めて図面的に関節が設けられた事で、微細な捻りが無い、固い可動しか出来なかった。アルミ線接続はそうした固い可動から旧キットの立ち姿を開放したのだと思う。
モデグラ岡プロ作例を大きなきっかけとして、旧キットが再評価されたわけだが、その中で「アルミ線で関節を繋いで自然な立ちポーズにすると、それだけで見違える」って発見があった。
それは近年ガンプラでよく言われる「可動範囲」の問題というより、「微細な捻りがアルミ線なら楽に加えられる」ってのが実際に近いと思う。
October 29, 2025 at 1:43 AM
仏像は石像ではなく木像なので、表面にはむしろテクスチャが加わるんだよな。
October 29, 2025 at 2:31 AM
「関節の可動で表情がつけられて嬉しい」のと、「こんなに体操ができて嬉しい」のは違う話だったとは思うんですよね。
October 29, 2025 at 12:48 AM
絵画は立体から翻訳されていることを最初から自覚しているから「何を当たり前な」なんだけど、「着彩の立体」はこの「絵画的なマジック」/「リテラルな形態や色・質感」の2つを持っているが故の「奥深さ」と「マジックの気づきづらさ」を抱えているように思う。
October 29, 2025 at 12:25 AM
スケッチをするというのは、写真を撮影することと違い「一律の縮小」が起こらない。ディティールが減らされることもあれば、木そのものが省略されることもある。遠景の山にも木の一本一本、葉の一枚一枚があるはずだが、それは質感として処理されたり、稜線のギザギザと化すだけで、山そのものは平板に描かれたりする。
October 29, 2025 at 12:19 AM