(ここ数年、ほとんど書いてないけど……)
まあ事故リスクの大きさは福島事故で明らかになってるんで、そのリスクを地球温暖化リスクをどう天秤に掛けるかって話になろうか。
まあ事故リスクの大きさは福島事故で明らかになってるんで、そのリスクを地球温暖化リスクをどう天秤に掛けるかって話になろうか。
まあこれも難しいことではあり 「今の世の中で民主主義的とされる主張を信じたがっている」 人(多勢いると思う)が民主主義を呉智英の様に疑って「正しい差別もある」とか言い出して良いのかとか。
どこまでがトンデモでどこまでがラディカルなのか、とかの線引きも難しい面がある。 呉智英なんてトンデモの左翼崩れだって認識の人も多かろう。
まあこれも難しいことではあり 「今の世の中で民主主義的とされる主張を信じたがっている」 人(多勢いると思う)が民主主義を呉智英の様に疑って「正しい差別もある」とか言い出して良いのかとか。
どこまでがトンデモでどこまでがラディカルなのか、とかの線引きも難しい面がある。 呉智英なんてトンデモの左翼崩れだって認識の人も多かろう。
それでもなお、リテラシーがあるとすれば、それはたぶん、「流れてくる嘘をいかに見破るか」よりも、「自分が何を信じたがっているのか」を知り、信じたい情報こそ警戒するということではないかと思う。
それでもなお、リテラシーがあるとすれば、それはたぶん、「流れてくる嘘をいかに見破るか」よりも、「自分が何を信じたがっているのか」を知り、信じたい情報こそ警戒するということではないかと思う。
マスメディアに即して言えば、マスメディアに対する「カウンター情報」への耐性が極端に落ちてしまうのだ。「テレビに洗脳されていませんか!」というのは、いまや怪しげな信仰やサービスを売りつけるための常套句になっている。
マスメディアに即して言えば、マスメディアに対する「カウンター情報」への耐性が極端に落ちてしまうのだ。「テレビに洗脳されていませんか!」というのは、いまや怪しげな信仰やサービスを売りつけるための常套句になっている。
「自分には高度なメディア・リテラシーがあり、メディアの嘘を見抜くことができる」という自意識は、自分が信じている「真実」を守るうえで非常に効果的だ。
そこからは、しばしば「メディア陰謀論」が展開され、たとえばNHKには在日コリアンが数多く雇用されており、そのせいで反日的な偏向報道をするのだといった完全なデマを信じることになったりする。
「自分には高度なメディア・リテラシーがあり、メディアの嘘を見抜くことができる」という自意識は、自分が信じている「真実」を守るうえで非常に効果的だ。
そこからは、しばしば「メディア陰謀論」が展開され、たとえばNHKには在日コリアンが数多く雇用されており、そのせいで反日的な偏向報道をするのだといった完全なデマを信じることになったりする。
学生にメディアに関するレポートを書かせると、その多くが結論で「メディア・リテラシーを高めることが重要だ」とお約束のように書いてくるという理由の一つ。
ある教育社会学者によれば、教育はゴミ箱みたいに使われており、難しい問題があると、その解決策として「教育」が安易に持ち出されるという。メディア・リテラシーも同じ。
ただ、それだけではなくて、メディア・リテラシーという概念がリテラシーをかえって低くしてしまう可能性があると思うからだ。
学生にメディアに関するレポートを書かせると、その多くが結論で「メディア・リテラシーを高めることが重要だ」とお約束のように書いてくるという理由の一つ。
ある教育社会学者によれば、教育はゴミ箱みたいに使われており、難しい問題があると、その解決策として「教育」が安易に持ち出されるという。メディア・リテラシーも同じ。
ただ、それだけではなくて、メディア・リテラシーという概念がリテラシーをかえって低くしてしまう可能性があると思うからだ。
敢えて言おう、「非常口」のないソーシャルメディアは(Blueskyであろうと)カスであると
投稿者: heatwave_p2p 投稿日: 2024/12/16
p2ptk.org/monopoly/5078
https://forest.watch.impress.co.jp/docs/serial/yajiuma/2071523.html
https://forest.watch.impress.co.jp/docs/serial/yajiuma/2071523.html
もっとも、今はミリタリー趣味なんかが金になりゃなんでもいいという市場原理に従って恥ずかしくない趣味に格上げされたので、今のミリオタがこうした罪悪感を経験することはできないだろうが。
もっとも、今はミリタリー趣味なんかが金になりゃなんでもいいという市場原理に従って恥ずかしくない趣味に格上げされたので、今のミリオタがこうした罪悪感を経験することはできないだろうが。
こうなると見た目が怪しい映像というよりは何らかの誘導・煽動の匂いがする映像や文章を疑う必要が出てくるのだが「自分は賢いのでフェイクの見分けが付けられるが、お前ら馬鹿は気をつけろ」って感じの人間に世間は不足しないので、効果のない警告が繰り返される間にもフェイクがどんどん浸透して扇動者が大笑いする社会になるのかと思うとうんざり。
こうなると見た目が怪しい映像というよりは何らかの誘導・煽動の匂いがする映像や文章を疑う必要が出てくるのだが「自分は賢いのでフェイクの見分けが付けられるが、お前ら馬鹿は気をつけろ」って感じの人間に世間は不足しないので、効果のない警告が繰り返される間にもフェイクがどんどん浸透して扇動者が大笑いする社会になるのかと思うとうんざり。
というわけで『あれよ星屑』映画化しませんか。しましょう。
というわけで『あれよ星屑』映画化しませんか。しましょう。
実は一番ラクな位置から世界を眺めていることがある。
起こる事柄の状況を大雑把に断定して、雑にひとまとめに分類して、最後に「難しいね」で〆て「私も同じ立場ですよ、被害者ですよ」と逃げる。
そういう書き方に、
自分はたぶん引っかかりを覚えるタイプなんだな、と思った。
実は一番ラクな位置から世界を眺めていることがある。
起こる事柄の状況を大雑把に断定して、雑にひとまとめに分類して、最後に「難しいね」で〆て「私も同じ立場ですよ、被害者ですよ」と逃げる。
そういう書き方に、
自分はたぶん引っかかりを覚えるタイプなんだな、と思った。
日本ではほとんど話題にならないデジタル主権だが、その重要性に気づいた時に手遅れにならないことを祈りたい。"
inods.co.jp/topics/news/...
日本ではほとんど話題にならないデジタル主権だが、その重要性に気づいた時に手遅れにならないことを祈りたい。"
inods.co.jp/topics/news/...
実際に貶しているかどうかはともかく、そういう先入観があると「今の日本の在り方に批判的な人間」の一挙手一投足が攻撃に見えてくる、というのがあるんじゃないかなと。
そういう人が悪人かって言うと、必ずしもそういうこともないと思うので、あんまり悪魔化するのもまずいと思っています。
本来、「愛国」なんてものはわざわざ外に向って発信する物でもないし、それを敢えてするというのは、「国を愛している自分を見て欲しい」という承認欲求というか自己顕示欲の現れだと思ってる。
もしも、外部に発信することで愛国の程度が測られるなら、スパイにとってこれほど有難い(侵入しやすい)指標はないだろうし、愚かな指標だと思う。
要するに、自称愛国者は頭が悪いし、愛国というものを何も分かってない。
実際に貶しているかどうかはともかく、そういう先入観があると「今の日本の在り方に批判的な人間」の一挙手一投足が攻撃に見えてくる、というのがあるんじゃないかなと。
そういう人が悪人かって言うと、必ずしもそういうこともないと思うので、あんまり悪魔化するのもまずいと思っています。
「何が好きかより何が嫌いかで他人と繋がりたい」とストレートに言語化している人を見た事もある
アリバイ的に何かを空虚に称揚するよりは正直な分ある意味で誠実と言えるかもしれない
「何が好きかより何が嫌いかで他人と繋がりたい」とストレートに言語化している人を見た事もある
アリバイ的に何かを空虚に称揚するよりは正直な分ある意味で誠実と言えるかもしれない
地域報道が維持されなくなった結果、地方自治が汚職だらけになる問題。米国で顕在化し、日本も続くだろう。
いま、この問題を論じてる有識者たちは一昔前、何を言ってたか?
「米国では署名·長文·主観の良心的記事だ。役所の動向なんか不要」
有識者たちの「米国では」ジャーナリズム論により、地方取材網が削減され、若手が役所にお膳立てされたルポ風の大作をwww
雑誌を見下していませんよ。
一般紙は月極め購読、雑誌はその都度の購入ですよね?
単発は、よりキャッチィな見出しが求められます。同じ新聞でもスポーツ紙なんかはそういう造り。
それだけの違いです。
「良心的ジャーナリズム」を好きなジャーナリズム有識者は、良い記事だけをバラ売りしろとか言いますが。
バラ売りなら信者ウケの良いポジショントークになりますわいな、今みなさんが御覧の通りw
だから、ジャーナリズムの有識者なんてのは何も分かってない。それ自体が左右のポジショントークか、たまたま朝毎の出身か、そんなもん。
新聞の見出しは、全体の要約が基本です。コメントを見出しにするのはコメントを軸に書かれた記事です。
(例:1面に地震発生、社会面に住民不安の声)
昭和と違って、もしコメントに脚色が入れば、同じことを報じている他紙と見比べて即バレますので、むしろ今の記者のコメント採録は慎重すぎる状態です。
ですから「喋ったのと見出しが違う」は。
1) 脚色の強い雑誌
2) 学者にコメントを聞いたら自分の紹介記事を勝手に期待して長く喋り一部を使用したら後でゴネる
あたりかと思います。
地域報道が維持されなくなった結果、地方自治が汚職だらけになる問題。米国で顕在化し、日本も続くだろう。
いま、この問題を論じてる有識者たちは一昔前、何を言ってたか?
「米国では署名·長文·主観の良心的記事だ。役所の動向なんか不要」
有識者たちの「米国では」ジャーナリズム論により、地方取材網が削減され、若手が役所にお膳立てされたルポ風の大作をwww