美徳
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アメリカンカスタムモデル&ネコ専門。イマジネーション全開で妄想ファントムモデリング大好き。#カスタムカーモデリング 吹聴主。
還暦過ぎて、21:30就寝→5:00起床。夜は基本沈んでます。
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H.W.Geezer
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· Aug 4
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OGURA
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· Aug 4
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ミカンセーキ
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· Aug 2
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· Aug 2
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ミカンセーキ
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· Aug 2
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bantowblog
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· Aug 2
制度化された報酬は、本来のモチベーションを外部基準へと置換する。「作りたいから作る」は「報酬に見合うように作る」へ、「語りたいから語る」な「承認される語り方に整形する」へ。
これによって、行為は「関係」から切断され、報酬の基準へ従属する方向へ矯正される。
これによって、行為は「関係」から切断され、報酬の基準へ従属する方向へ矯正される。
だから「報酬を明示せよ」という要請がこの趣味には生じやすい。
展示を前にわざわざ語らねばならないというのは、疲労が再燃することのように感じられる。だから語らずとも得られる報酬を制度が用意せよ、語りの不在を補塡するかたちで報酬を明示せよ、となる。
この報酬の要請には二重性があって、慰藉の願望と規律化の圧力が同居する。
展示を前にわざわざ語らねばならないというのは、疲労が再燃することのように感じられる。だから語らずとも得られる報酬を制度が用意せよ、語りの不在を補塡するかたちで報酬を明示せよ、となる。
この報酬の要請には二重性があって、慰藉の願望と規律化の圧力が同居する。
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bantowblog
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· Aug 2
だから「報酬を明示せよ」という要請がこの趣味には生じやすい。
展示を前にわざわざ語らねばならないというのは、疲労が再燃することのように感じられる。だから語らずとも得られる報酬を制度が用意せよ、語りの不在を補塡するかたちで報酬を明示せよ、となる。
この報酬の要請には二重性があって、慰藉の願望と規律化の圧力が同居する。
展示を前にわざわざ語らねばならないというのは、疲労が再燃することのように感じられる。だから語らずとも得られる報酬を制度が用意せよ、語りの不在を補塡するかたちで報酬を明示せよ、となる。
この報酬の要請には二重性があって、慰藉の願望と規律化の圧力が同居する。
でも、誤解されたらやっぱり癪に触るでしょう。肯定的な誤解はむしろ歓迎だったりもするでしょう。
終わって、くたびれていれば、多くの人はやはりそうなる。そこにある痕跡をめぐる時間感覚が、第二以降の鑑賞者とは非対称なんだよね。
終わって、くたびれていれば、多くの人はやはりそうなる。そこにある痕跡をめぐる時間感覚が、第二以降の鑑賞者とは非対称なんだよね。
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· Aug 2
でも、誤解されたらやっぱり癪に触るでしょう。肯定的な誤解はむしろ歓迎だったりもするでしょう。
終わって、くたびれていれば、多くの人はやはりそうなる。そこにある痕跡をめぐる時間感覚が、第二以降の鑑賞者とは非対称なんだよね。
終わって、くたびれていれば、多くの人はやはりそうなる。そこにある痕跡をめぐる時間感覚が、第二以降の鑑賞者とは非対称なんだよね。
「下手すれば残滓」と挑発ぎみに呼んだのは、提出・展示に到るまでに、制作過程につきっきりの第一鑑賞者としてかたわらにあった者の「終了の宣言」はやっぱりあるだろう、というのがある。これもう終わってるんで、ベースとかわざわざ用意しないんで、当然語ったりすることもないです、というのは根強くあるでしょう。
だから「記名と語りを」みたいにしつこく訴えられ食い下がられるのを「うるさいな」と感じる人が少なくないのは、ある程度構造として仕方がない。怠慢だといわれているように感じるわけだから。
だから「記名と語りを」みたいにしつこく訴えられ食い下がられるのを「うるさいな」と感じる人が少なくないのは、ある程度構造として仕方がない。怠慢だといわれているように感じるわけだから。
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· Aug 2
「下手すれば残滓」と挑発ぎみに呼んだのは、提出・展示に到るまでに、制作過程につきっきりの第一鑑賞者としてかたわらにあった者の「終了の宣言」はやっぱりあるだろう、というのがある。これもう終わってるんで、ベースとかわざわざ用意しないんで、当然語ったりすることもないです、というのは根強くあるでしょう。
だから「記名と語りを」みたいにしつこく訴えられ食い下がられるのを「うるさいな」と感じる人が少なくないのは、ある程度構造として仕方がない。怠慢だといわれているように感じるわけだから。
だから「記名と語りを」みたいにしつこく訴えられ食い下がられるのを「うるさいな」と感じる人が少なくないのは、ある程度構造として仕方がない。怠慢だといわれているように感じるわけだから。
行為の痕跡でしかないものを「作品」として切断・固定するプロセスが社会にはある。そこでアートのラベリングがたいへん便利に使用される。
これはプラモデル趣味にとっても他人ごとではなくて、現代的な趣味の行為、その痕跡(下手すれば残滓)を「作品として提出されたものと見做す」制度がある。それがSNSであったり、ともすれば展示会のかたちを取るわけです。
やはりこのプロセスには切断と固定があるから、記名と語りによってふたたび関係に引き戻す必要を「一部の者たちには」強く意識させる。
記名と語りによって、行為の文脈や制作の過程をふたたび可視化し、「作品」と呼ばれて固定化された痕跡を動的な関係に再接続する。
これはプラモデル趣味にとっても他人ごとではなくて、現代的な趣味の行為、その痕跡(下手すれば残滓)を「作品として提出されたものと見做す」制度がある。それがSNSであったり、ともすれば展示会のかたちを取るわけです。
やはりこのプロセスには切断と固定があるから、記名と語りによってふたたび関係に引き戻す必要を「一部の者たちには」強く意識させる。
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· Aug 2
行為の痕跡でしかないものを「作品」として切断・固定するプロセスが社会にはある。そこでアートのラベリングがたいへん便利に使用される。
これはプラモデル趣味にとっても他人ごとではなくて、現代的な趣味の行為、その痕跡(下手すれば残滓)を「作品として提出されたものと見做す」制度がある。それがSNSであったり、ともすれば展示会のかたちを取るわけです。
やはりこのプロセスには切断と固定があるから、記名と語りによってふたたび関係に引き戻す必要を「一部の者たちには」強く意識させる。
記名と語りによって、行為の文脈や制作の過程をふたたび可視化し、「作品」と呼ばれて固定化された痕跡を動的な関係に再接続する。
これはプラモデル趣味にとっても他人ごとではなくて、現代的な趣味の行為、その痕跡(下手すれば残滓)を「作品として提出されたものと見做す」制度がある。それがSNSであったり、ともすれば展示会のかたちを取るわけです。
やはりこのプロセスには切断と固定があるから、記名と語りによってふたたび関係に引き戻す必要を「一部の者たちには」強く意識させる。
記名と語りによって、行為の文脈や制作の過程をふたたび可視化し、「作品」と呼ばれて固定化された痕跡を動的な関係に再接続する。
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· Aug 2
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へたま山
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hide-T
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· Jul 18
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· Jul 18